どぉも、ボーノです。
日々のゴミ出しに、心の「余裕」がでるな〜
と、そんなことに気づくきっかけが
先日、なんだかモヤモヤしたので
週末に「滞ってるな〜」
と感じる所を
えっさほいさと掃除
その際に見つけた
不要になったモノをゴミに出すときに
ふと、気づきました
友人から新しいモノをいただき
不要になっていた缶切りと
先が曲がってしまっていたアイスピック
不燃ゴミに出そうと準備していたとき
以前読んだ本のことを思い出した
そうだ、僕がゴミを出した後
回収してくれてるのは「人」
そういう人に感謝して
怪我をさせないよう
危険な部分は包んで出そう
そんな事を思い立ち
新聞紙でぐるぐる巻きにしている自分がいた
あれ…昔の自分だったらどうしていたかな?
考えてみたら
朝はギリギリに起き
バタバタとゴミ出し
時折、玄関を出たタイミングで
ゴミ収集車が走り去っていく姿が見えたりして
「すみませんー!!」
なんてダッシュで追いかける
そんな自分すらいた…
そんな僕だったので
当然「怪我をさせないように」
なんて、正直そこまで気は回らず
そのくせ口では
「人の扱いがあまりにも酷すぎるのでは」
なんてお酒を飲みながら
同期とよく会社の愚痴を言ってしまっていた気がする…
当の本人は「時と場合による」
じゃないか
と、今考えると、大変心が痛い…
ご縁があり、その後
「素敵な大人」にたくさん出会い
心の余裕と
温かい心配りに触れ
その場で演じているのではなく
こういうのって
普段からやっていることが
そのまま自然と出るんだなと
痛い程思い知らされた
だから
こんな風に
ゴミ出し一つだけれど
自然とできた自分に
少し嬉しくなった
少しは心の「余裕」を
持てるようになった模様
まだまだ気づきをくださった
「素敵な大人」の方々の
足元にも及ばないけれど
「自分がされたら、嫌だな…」
と思うことは
普段からやらないようにしたい
それが出来るように
心の「余裕」を
こうして時より、はかりながら
日々、行動していきたい
そうやって
自分も
身近な人たちとも
ほのぼのと生活していきたい
改めてそんなことを思った一日でした